「母親がいない症候群」とEFT


私がクライアントとして一番最初にEFTを行なった時、自分の誕生までまっすぐ
さかのぼりました。統合失調症の私の母は、私が生まれる以前から、親密な絆を
結ぶことが出来ませんでした。私は深く辛い育児放棄されたという感覚を解消しました。
それは強力な体験で、それによってEFTを信じ、プラクティショナーになったのでした。


EFTは、私達がワークしている問題を、プラクティショナーが直接体験をしていなくても
効果があります。しかし、経験している事は私のワークに信頼性を与えてくれています。
私が、悩み苦しんでいるクライアントに「あなたがどう感じているか分かりますよ」と言う時、
それはただの慰めの言葉ではなく、それはクライアントを勇気づける言葉となり、
あらゆる心の闇や、とても辛い感情を表に出す助けとなります。


「身勝手な私の母は、私を放りっぱなしにしていたけど・・」

「私の母は私を産むのを望まなかったけれども・・」

「私は母を憎んでいるけれども・・」

「母は私の心を引き裂いたけれども・・」

愛情をもって世話をしてくれる母親がいないまま成長するという事は、同性のお手本
になる人がいないという以上の事を意味します。それは壊滅的な影響を与えます。
母親というものは最初の基本的な世話人ですから、子供にとって、その母を失うという事は、
心身両面において欠乏という悪夢の始まりなのです。ある意味、それは終わりがないのです。
その後の人生で経験する多くのネガティブな状態や感覚は、この(母を失うという)
非常にトラウマ的な経験が根源となります。


私に連絡を取ってくる女性達は、私が「母親がいない症候群」と名づけた症状群を呼んで、
衝撃的な驚きをもって自分達を理解します。彼女達はこの世界の中で途方に暮れたり、
場違いな感じがしたり、安全でないと感じているのです。何も「悪いこと」がないにも拘らず、
根本的に深い悲しみが存在しているのです。彼女達は孤独感を感じやすく、
それは特に他人との付き合いで起こります。彼女達は、あらゆる類の拒絶に対して
神経過敏であり、怒り、自分自身の存在を恥じています。彼女達は「完璧」な存在で
あろうと懸命になっています。それで常にストレスにさらされるのです。
(彼女達は精神的疾患と診断されたり、治療を受けた事がないという事を確認します)


必ず生じる2つの基本的な強力な感情があります。それは怒りと深い悲しみです。
ある女性は怒りから始まり、私達がワークしている間に潜在していた育児放棄された
辛さや自分という存在を認められなかった辛さに辿り着きます。ある人は悲しみから
始まり、怒りを経験することを受け入れます。


私が「リリー」と電話を通して7回ワークをした時、彼女は自分自身を「過度に迎合して
人を喜ばせる人」と称しました。彼女は自分の芸術的才能を表現する勇気がなかったのです。
リリーは、アル中の母親が子供の頃に与えた辛さをとてもよく覚えていました。
その悲しみに対してタッピングすると、潜在していた強烈な怒りが湧いてきました。

「ママは下品で、友だちの前で私に恥をかかせ、今でもその事についてムカつくけれども・・」

「私達が暴力的な義父と同じくらい重要ではなかった事に本当に怒っているけれども・・」

「誰ひとりとして、私の事や私の思いを気にかけてくれる人はいなかったけれども・・」

一方、「レイチェル」は負けず嫌いで知性的な頑張り屋(「私は絶対泣かない」)なので、
潜在している心の痛みに辿り着くまで、虐待的な母親への怒りのワークを通過する必要が
ありました。(10セッションかかりました)


「私は怒りを手放せないけれども・・だって、それが母と私を結びつけるたった1つのものだから・・
愛がないなら、怒りだけでもあるけれど・・・」


彼女は泣きました。そして、解放されたのでした。

「母親がいない症候群」の女性達とのワークにおいて、万能な手順というものは存在しません。
ですから、私は(苦痛の)流れについていきます。ある時は、(テーマが)父親の喪失や
経済的不安に至る事があります。しかし、トラウマの記憶に対して「話を聞かせてテクニック」
のように、何度も使ってきた特定のテクニックというものはあります。私は、クライアントが
頭よりもハートで感じるように、あるいはインナー・チャイルドに出会えるように、
タッピングを行なう前に、「誘導イメージ」をよく用います。私は体のどの部分で怒りや
感情的苦痛を感じるかを、いつも尋ねます。

「私はハート(胸)にブラックホール(黒い穴)があるけれども」

「喉が締め付けられているけれども」

「お腹の底で(怒りの)炎が燃えたぎっているけれども」

私が「ゾーン」に入り込んだ時、最高のセッションが始まります。私はクライアントの言葉から
始めます。それから「私の中の何か」が私を支配し、ユーモアのある誇張表現(彼女が私を
見た時、猫でさえ吐き戻したけれども・・のように)や、何らかの深い洞察が浮かびます。


たとえば、両親が健在でいる「マヤ」とワークをした際、私が出し抜けに「私はみなし子です」
と言った時に大きな解決に辿りついたのです。


ある時点で(そんなに初期ではありません)、私はパット・キャリントンの「チョイス」メソッドで
ワークを始めました。このメソッドはクライアントにあるポジティブさを持って帰れるように
してくれるので、セラピーの締めくくるには素晴らしい方法です。この方法は、特に実際に
必要とするより少ない回数でセッションする場合(通常はリソースが限られているため)に
役に立ちます。


「私は存在する資格がないと思いこんでいるけれども・・私の魂と霊が望むままにダンスを
させることを選びます」


「私は時々自分に対する信条を失ってきたように感じるけれども・・自分を信じ、
私の中に光を見つけることを選びます」


手紙やEメール、ニュースレター、オンラインのサポート・グループを通して繋がりが
あるようにしています。


「母のない娘」の感情的な傷を癒すことは、一生をかける旅です。しかし、3回から10回の
EFTセッション(殆どは電話で)で到達できる成果は目を見張るものがあります。
クライアント達は、彼女達の生活における「素晴らしい変化」や「奇跡」を報告してくれます。
彼女達の子供とより以上に愛のある結び付きが得られ、人間関係において防衛反応が減り、
体の緊張が減り、パニックが沈静化し、自尊心や喜びが増えているのです。


ところで、私は誰に対しても「許し」を押し付けた事はありません。時々、母親(も傷ついている
事が多)への同情が生じますが、ほとんどの場合は、辛い記憶が中和します。人生の殆どを
感情的な戦場で暮らしてきた人にとって、この感情的中性状態がいかに素晴らしい感覚か
わかります。最終的には、「母のない娘」は、自分の中の愛と思いやりの力を信じることを
身に付けた時に、治癒されることが分かります。私のビジョンは、彼女にそれがどのような
感じであるか理解出来るように手伝うことです。

カーナ・ザカリアス・ミラー EFT-CC, EFT-ADV,
ホームページ: http://www.missingmother.com


原文 http://www.emofree.com/Articles2/missing-mother-syndrome.htm


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