音楽が悲しみを引き起こすとき


みなさん、こんにちは。

嘆きや悲しみを引き起こす音楽がかかっているときにEFTをすると、
問題解決をするのに一番いいんじゃないでしょうか。

人は音楽を聞くと、関連した問題と自動的に「同調して」しまうものなので、
EFTをするのに一番理想的なタイミングになりうるのです。

スコットランドのオデット・ボーボワソンがこのアイディアをどのように用いたか、
詳しく伝えてくれます。

彼女はこのように言います:

「私は以前『ある音楽』がかかっただけで、どんな場所にいてもそこを
立ち去らずにはいられませんでした。

そしてそれがどんなにしょっちゅうのことだったか、驚くくらいでした。

誰かがそうやって自分を妨害しようと企んでいるんじゃないかとさえ思うほどでした…。」

ハグとともに、
ゲアリー
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                     オデット・ボーボワソンより
親愛なるゲアリー、

人によっては、音楽は特別に感情に訴えるものがあり、即座にもっとも深い感情へと
つながることがあります。

音楽は人生のなかで大切な意義深い出来事とつながることがり、もしそれが楽しい
出来事であれば、特別に有益なつながりとなります。

「けれども…。」

もし誰かとの死や別離があったりすると、その同じ曲が逆に圧倒的な悲しみを
引き起こしてしまうようになることがあり、喪失感や恐れ、裏切り、恥、怒り、孤独、
失敗、不適格、拒絶、混乱といった、関連するすべてのネガティブな感情が
引き起こされることがあります。

かつては喜びを引き起こした同じ曲が、こんどは瞬間的にそしてダイレクトに、
苦痛に満ちたエネルギーの混乱と分裂を呼んでしまうのですが、
実はここがまさしくタッピングするチャンスなのです。

深い喪失や近親者の死、拒絶を体験したあとで何年も「お気に入りの曲」が
聞けなくなっている人の場合、あえてその曲を聞きながらEFTのショートカットを
タッピングすることで、ふつうの会話によるセラピーよりも短時間で、
圧倒的な悲しみを解放し、認識をシフトさせることができるということを私は発見しました。

私は音楽とともにタッピングすると無意識的な面に働きかけられるのではないか
と思っています。音楽がなっているとネガティブな障害部分に意識が集中しやすくなるので、
その障害が除去されるのです。

EFTの効果があったかどうか確認するのは、この場合とても簡単なことです。

その曲がもともと伝えようとしていた意味を素直に聞けるようになったときに
あなたのEFTセッションは終了となります。

私は自分のために音楽CDを使い始めたのは、とても深い個人的な悲しみを体験した
2年目のことでした。(そのときの喪失感は非常に激しいものでした。というのもそれは16年前に
あった別の出来事と似ていたからです。)

EFTをする以前にやっていたセルフセラピーは「強くなれ、怖れを感じよ、立ち向かえ」と
いうようなものでした。それは大きな痛みをもたらすばかりで(感情的にも肉体的にも)、
進歩はあまりなく、努力のしすぎで疲れ果ててしまいました。

それはただ喪失感と妥協をし、ごまかそうとする試みでした。

自分が感謝すべきものをむりやり意識することで、少しの間だけ気分がよくなりましたが、
それもほんの短い間だけでした。

私が自分の中で作り出すことができたのは「これが人生なのよ」というあきらめであり、
ただ生き続けますと約束をすることぐらいでした。

私は今年の最初にEFTを紹介され、自分自身とクライアントにつかってはきたものの、
自分の個人的な悲しみに対して言葉による表現や、いろいろなセットアップフレーズだけでは
ある程度までしか進むことができませんでした。

そんなときに私は音楽CDに再び戻ったのです。

個人的に感情を喚起する音楽、つまり良い記憶のはずなのに今は強い悲しみを
引き起こしている記憶が埋め込まれている音楽を使うことでタッピングしている事柄に
ついてすべて言語化して意識する必要がなくなりました。

そして、時々頭に浮かんできた言葉も使ってみました。

「あなたは自分がした約束を守らなかったけれども...」

「信じた私がばかだっだけれども、それによって進歩したことは…」

「あなたは約束を守ることができなかったけれども、それによって…」

「あなたはベストを尽くしたのだし、私はあなたを愛します。私自身を愛するのと同じくらいに。」

私は以前「ある音楽」がかかっただけで、どんな公共の場所にいても立ち去らず
にはいられませんでした。そしてそれがどんなにしょっちゅうのことだったか、驚くくらいでした。
誰かが自分を妨害しようと企んでいるんじゃないかとさえ思うほどでした。

個人的な悲しみを公共の場所でさらすことはイギリスでは非常に嫌われます。

プライベートな悲しみを爆発させると、たいていの場合「自己管理能力が欠如している」と
みなされ、困惑や気まずさ、ときには敵意に直面したり、あからさまに「問題のあるやつは
調和を乱さないように消えてほしい」というような態度を見せられたりします。

実際には、イギリス人は悲しみをサポートするやり方を知らないのです。

私の中の精神な壁には「公共の場所では動揺してはならない。
コントロールが出来ないのなら人付き合いはしないこと」と書いてあります。

しかし今では、先ほど書いたように、音楽や曲を聞くことができるようになり、
自分にとってその曲が持っていた個人的な価値を楽しんだり感謝したりすることが
できるようになりました。

これはEFTというツールに付け足す価値のあることではないでしょうか?

感謝とともに

オデット・ボーボワソン(夫人)

翻訳: 脇坂あきふみ

監訳: ブレンダ

原文: http://www.emofree.com/Articles2/grief-sadness-relief-music.htm